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心跳回忆网络 心跳町の溫泉 找到一篇国府田マリ子和田村ゆかり比较文
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dsvlover
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楼主  发表于: 2009-09-11 20:13
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 找到一篇国府田マリ子和田村ゆかり比较文

管理提醒: 本帖被 nijino 执行锁定操作(2009-09-20)
上GOOGLE搜索的时候突然看到这篇文章
    
2008-06-25 国府田マリ子と田村ゆかりから考えるコナミレーベルの功罪 noir_k  以前のエントリid:noir_k:20080619:1213838915の続きになります。前回の内容を简単に振り返ると、梅雨ということで国府田マリ子『雨のちスペシャル』を思い出したnoir_kは、コナミレーベル*1において歌手活动を行っていた新旧2人の声优である国府田マリ子と田村ゆかりの类似性を再认识しました。类似の要因はコナミレーベルの思想だったのかもしれませんし、元来2人が持っていた志向性かもしれません。前回のエントリでは、コナミ提供アニラジの変迁を辿ることで、あまりアーティストの手を広げなかったコナミレーベル自体の変迁が読み取れました。本エントリでは前回を発展させて、国府田マリ子と田村ゆかりの比较考察を行うことで、コナミレーベルについて、そして2人の今后について今改めて考え直してみよう、というのを目的とします。
 まずは国府田マリ子と田村ゆかりの简単な绍介を。2人はともに声优を本职としています。大きな声优ブームの流れの中において、国府田マリ子は第3次声优ブームのトップの一人であり、田村ゆかりはそれに続く第4次声优ブーム*2のトップランナと言えるでしょう。第3次声优ブームとは『美少女戦士セーラームーン』から始まり『新世纪エヴァンゲリオン』で顶点を迎える流れであり、アイドル死の时代と呼ばれていた1990年代にアイドルブームから移行するように起こった流れでもあって、第1次アイドル声优ブームと换言することができるかもしれません。そこでは今まで完全な裏方に彻していた黒子である声优自体にスポットライトが当たるようになり、颜出しの活动であったり、大文字の名前での歌手活动を行ったりするようになりました。その流れを受け継ぐ形で第4次声优ブームが勃発し、そこにおいては歌手活动というものは必须になっているように感じられます。
 それでは国府田マリ子、田村ゆかりの详细なプロフィルを见ていきましょう。
略歴
 国府田マリ子田村ゆかり
诞生日   1969年9月5日(38歳)   1976年2月27日(32歳)  
声优活动   1991年〜   1997年〜  
歌手活动   1994年〜   2001年(1997年)〜*3  
ラジオ*4   1993年   1997年  
个人Pラジオ*5   1993年   2002年  
コナミラジオ*6   1993年   2003年  
 ここで选択した轴は3つで、本职であるところの声优活动、そして现在焦点を当てている歌手活动、さらにラジオパーソナリティ活动です。この3つがアイドル声优としての活动には必要不可欠だと考えられます。まずはこの3つの観点から捉えていきたいと思います。
 国府田マリ子は、デビュー当时からすぐにラジオ番组のレギュラーを持つなど、そのパーソナリティ性が尊重されてきた印象があります。デビュー3年目にはすでに个人パーソナリティの番组を复数抱え、その中でもコナミのメディアミックス展开を焚きつける要因(?)となった『ツインビー PARADISE』(1993年)や、最终的に11年もの长寿番组となった『国府田マリ子のGM*7』(1993年)など后世にまで名高い番组があります。同时期にアニメでもブレイクを遂げ、『GS美神』(1993年)『ママレードボーイ』(1994年)『ダーティペアFLASH』(1994年)と休むまもなく続いていきます。さらに同时期に『ツインビーPARADISE』の流れを受けてコナミから歌手デビュー(1994年)*8しました。これらが复合的に起こっているあたり、それまでの数年间の努力が一気に花开いたといった感じでしょうか。歌手活动も顺调に进み、1998年あたりに最盛期を迎えました。このときには并行して颜出し女优活动も行い深夜ドラマ『せつない TOKYO HEART BREAK*9』(1998年)なんてのもありました。また『Come on FUNKY Lips!』(1997年)では声优としては异例の深夜2时间生番组24局ネット!*10のパーソナリティをつとめ、强大すぎる人気を夸る裏番组*11を相手に奋戦していました。
 田村ゆかりは、デビュー前の养成所时代に初めてのラジオレギュラー出演を果たしています。『私たち、翔びます!』*12(1997年)はずばり田村ゆかりが当时通っていた日本ナレーション演技研究所が提供する番组であり、在籍生の中から选ばれてパーソナリティをつとめていたようです*13。デビュー后、すぐにポリドールから歌手としてのデビューを果たします。本职の声优としては、他の声优(含国府田マリ子)と同じように不遇の时代と言いますか、端役を中心とした细々とした活动を送っていたため*14、歌手活动の方が目立っているように感じていました。その活动内容はいわゆるアニソン歌手に近いものだったと思います。また、何だかんだ言ってもラジオを长く続けていて、『SOMETHING DREAMS マルチメディアカウントダウン』(1998年)での堀江由衣とのユニット「やまとなでしこ」(2000年)や、単独パーソナリティ年は当时新兴メディアとして期待されていたもののコンテンツ不足に悩まされていたBSデジタルラジオ「BSQR489」での『田村ゆかりのミュージック・フェアリー』*15(2000年)などがあります。アニメでは2000年ごろから数多くの主役をつとめるようになり*16、『kanon』(2002年)ではヒロイン同士として国府田マリ子と竞演したりもしています。コナミでの歌手活动を始めたのは2001年で、この顷にはすでに高い人気を拥していました*17。
 2人の共通点は、デビュー数年でアニメレギュラー、ラジオレギュラーを掴んだといった点にあるでしょう。また二人ともラジオでの活动を初期から行っており、パーソナリティ性がアピールされていたように思われます。また国府田マリ子の方が短期间で一気に上り诘めた感があるのに対し、田村ゆかりの方がじんわりと上り诘めたように思われます。これは第3次声优ブームと第4次声优ブームが连続的に起こり、その迁移期において第3次の残り香が第4次の台头を意図的でないにせよ妨げてきたことが背景にあると思われます。上が十分揃っていたので、田村ゆかりなどの世代はなかなか头を出しにくい状况にあったのでしょう。歌手活动を始めた时期に関しては田村ゆかりの方が声优デビューから早いですが、国府田マリ子は歌手活动を行う声优の开拓者のひとりであり*18、その后の土壌に生きてきた田村ゆかりにおいては少し状况が异なりますので、そのまま比较することは难しいです。
音楽活动 コナミでの歌手活动期间は、国府田マリ子は1994年〜1999年、田村ゆかりは2001年〜2006年であり、ともにその后はキングレコードに移籍しています。所属は2人ともVC制作部であり、アニメ・ゲームレーベルとして名高いスターチャイルドレーベル所属ではありません。ちなみにキングレコード VC制作部所属のアーティストは国府田マリ子、田村ゆかり、水树奈々のみで、スターチャイルド所属とは少し意味合いが异なると考えられます。
 活动期间を见ると、コナミが国府田マリ子から田村ゆかりに乗り换えているかのように见えなくもありません*19。では2人のコナミ期の活动実绩を绍介しましょう。

 国府田マリ子田村ゆかり活动期间   1994年〜1999年(6年)   2001年〜2006年(6年)  
シングル   11枚   11枚  
アルバム   6枚   5枚  
ベスト盘   4枚   2枚  
 こう见ると活动期间の一致*20、同数のシングル、1年1作ペースのアルバムと类似しているのが分かります。シングルに関しては、国府田マリ子の场合いわゆる8cmシングルであり、田村ゆかりは12cmマキシシングルになっています。そのため1枚あたりの収录曲数は国府田マリ子の场合2曲、田村ゆかりの场合3曲になっていて、曲数的には国府田マリ子22曲、田村ゆかり33曲と差があります。また音楽CDの売り上げ低调を受けて、シングルCDの持つ意义が変わりつつあった时期だったともいえるでしょう。
 また枚数では同等ですが、シングルCDのリリース时期を详细に见るとその倾向が异なっているのが分かります。国府田マリ子の场合は次のように1996年から1998年の3年间に集中してリリースされているのが分かると思います。

贩売时期タイトル
1994   仆らのステキ  
1995   みみかきをしていると  
1996   私が天使だったらいいのに/まちぶせ  
1996   梦はひとりみるものじゃない  
1997   笑颜で爱してる  
1997   风がとまらない  
1997   雨のちスペシャル  
1998   Looking For  
1998   コバルト  
1998   大切に思えるものが一绪ならいいよね  
1999   待っていました  
対する田村ゆかりの场合、次のように1年2枚のペースを保ってコンスタントにリリースされているのが分かります。

贩売时期タイトル
2001   summer melody  
2002   Love parade  
2002   Baby's Breath  
2003   Lovely Magic  
2003   眠れぬ夜につかまえて  
2004   梦见月のアリス  
2004   Little Wish 〜lyrical step〜  
2005   恋せよ女の子  
2005   Spiritual Garden  
2006   童话迷宫  
2006   Princess Rose  
 このような倾向の违いが、前述したような「国府田マリ子の方が短期间で一気に上り诘めた感があるのに対し、田村ゆかりの方がじんわりと上り诘めた」という感覚と合致します。これは歌手活动に限定した话ではなく、アニメ出演などでも同じような感じがします。
コナミレーベルの功罪  上述したコナミ时代の国府田マリ子、田村ゆかりの2人に共通する特徴は、すなわちコナミレーベルの特徴と一致すると考えてよいでしょう。その特徴とはずばり、「楽曲の多彩さ」と「中心に位置する歌い手の圧倒的存在感」だと思います。普通、歌手という物は「歌手=楽曲」という等式の中にあり、むしろ楽曲(=作风)が歌手を规定する部分が少なからずあります。そのような倾向は音楽に限定した话ではなく、多くの创作物は直接目に触れる作品を主として、その背后に作者が透けるような构造になっています。しかし、コナミレーベルの场合、本来歌手ではなくそして声自体が主である声优の利を生かして、楽曲中心ではない音楽活动を展开してきました。シンガーソングライター的な「歌手=楽曲」を崩しているのです。そこにおいて楽曲は歌い手をドレスアップする衣装のようなもので、あたかもお色直しのように様々なバリエーションが展开されます。そこで必要とされるのは圧倒的な歌唱力ではなく、それなりの歌唱力と圧倒的な存在感です。
    例えば、国府田マリ子の楽曲の変迁を追うと、作曲は松原みき、ながつきまろん、种ともこ、松本タカヒロ、イズミカワソラ*21……と様々です。楽曲提供者の多くは自身がシンガーソングライターであるケースが多いです。またアレンジャー、プロデューサーも変化が激しく、西脇辰弥、亀田诚治、井上うに……がいます。初期のアルバムでは1枚の中で数多くの表情を见せていましたが、どちらかというと1枚ごとに违う表情が覗ける感じ*22だと思います。その多彩さはベストアルバムで真価が発挥され、たとえばコナミ时代の后期集大成とも言える『MY BEST FRIEND 2』では15曲の楽曲の中で、ながつきまろん、八野英史、西脇辰弥、南明男、松原みき、井上うに、种ともこ、P.YARROW・L.LOPTON、奥井雅美、TSUKASA、松浦有希と11人(11组)の作曲者が参加しています。
 これは田村ゆかりにも同様の倾向がありというかもっと顕著で*23、継続的な楽曲提供を行っているのは太田雅友、小松一也、桥本由香利くらいで、それ以外は1,2曲の提供にとどまっています。だからこそ、田村ゆかりの楽曲は1曲ごとに田村ゆかりの新たな侧面が见えるような构造になっているのです。国府田マリ子の时と同じようにベスト盘を例に挙げると、全9曲中で渡邉美佳、片冈嗣実、大久保薫、太田雅友、小松一也、桥本由香利、marhy と7人が提供しています。ただ注意する必要があるのは、田村ゆかりは国府田マリ子に比较するとアニメタイアップ楽曲であることが多いので、その场合は少し话が変わってきます。例えば桥本由香利なんかはキングレコードお抱えのアニソン作曲家といった雰囲気があります。楽曲提供者の倾向としては、どちらかというと职业作曲家寄り(歌手よりは演奏家系)だと思われます。
 国府田マリ子と田村ゆかり、様々な相违はありますが、基本的な戦略としての「楽曲の多彩さ」と「中心に位置する歌い手の圧倒的存在感」は类似していると思われます。これは悪く言うならば、「カラオケ歌手」に过ぎないということです。シンガーソングライター的な「歌手=楽曲」の関系から言うならば、楽曲でメッセージを表现するのではなくて、楽曲を通して歌い手を表现しているのです。声优が歌手活动を行う场合、コナミの选択したこのような戦略は亲和性が高く、歌い手の存在をずんずんと持ち上げていくことに成功していると思います。しかし、一方では楽曲頼りにならざるを得ない部分があります。これは同じような曲ばかりではすぐに饱きられてしまうということです。常に新しい楽曲、歌い手の新しい侧面を追求していく必要があるというわけです。
 国府田マリ子は2000年以降、田村ゆかりは2007年以降、コナミを离れてキングレコードでの音楽活动を行っています。それが影响しているのかわかりませんが*24、ともに楽曲の幅が狭くなっていると感じています。国府田マリ子でいえば、キングレコード移籍后はイズミカワソラや井上うにの影响が强すぎると感じています。これは别にイズミカワソラがそれ以前の楽曲提供者に比较して优れていないという意味は一切なく*25、このような「カラオケ歌手」的な売り方をしてきた弊害として、同じような倾向が続くこと自体に问题があると思われるのです。田村ゆかりにしても、キング移籍后は以前以上に太田雅友の影响が强すぎるのではないかという危惧を持っています*26。この倾向はあまり良くない倾向だと、自分では考えています。
 声优活动の一环としての歌手活动を考える场合、コナミの生み出した「カラオケ歌手」的なやり方は素晴らしい方法だと思います。歌手活动を通して声优本人の魅力を引き出し続けるためには、多彩な楽曲の存在が不可欠です。多くの楽曲制作者を引き込むのはコナミだからできたことなのでしょうか?それは分かりませんが、あまり特定の制作者に依存しすぎることは、破灭へつながると思います。田村ゆかりが今后もトップアイドル声优であり続けるには、太田雅友ひとりに依存し过ぎない制作体制をキングレコードが选択する必要があると考えます。
 ……というわけで、最后は田村ゆかりの方向性について言及するという、良く分からない终わりとなってしまいました。稚拙な部分も少なくありませんが、ご静読ありがとうございました。
    
    
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hikari2007
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1楼  发表于: 2009-09-12 15:26
只看该作者 | 小 中 大
太长了,短一点的还能耐心看下来。一下次码这么多我放弃了
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